夏目漱石
夏目漱石
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自然主義に批判的な高踏派 ❖夏目漱石は森鴎外とともに余裕派・ 高踏派と呼ばれる。これは二人が 文壇の外側に立ち、文学の流派に 属さず独自の立場を保っていたこと を指す。漱石と鴎外は共に日本自 然主義に対して批判的な立場をとっ ていたのである
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夏目漱石 ❖ 夏目漱石は一八六七年に江戸牛込に生まれた。 本名は夏目金之助。東大英文科に進学後、正 岡子規を知り俳句を学んだ。この経験から、漱 石は俳諧的な態度で人生を眺めた。それゆえ、 漱石を俳諧派と呼ぶことがある。漱石の俳諧的 態度をよく示した作品は雑誌「ホトトギス」に発 表した処女作『吾輩は猫である』である
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夏目漱石 ❖ 結婚後、漱石は文部省留学生としてロン ドンに渡った。留学中に神経衰弱に悩ん だ。帰国後創作活動を本格的に始め、 処女作に続いて『坊ちゃん』、『草枕』を 発表した。漱石は深い教養に基づいて 知的な人間観察や文明批評を行い、低 徊趣味といわれる超俗的な姿勢をとった。 これらの作品は暗く平板な現実描写に 始終した自然主義を超えるものとして迎 えられた
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近代知識人の苦しみ・悩み を描いた漱石 ❖漱石は作品を通じて、人間はいかに生き るべきかを問い続けた。東洋的な倫理性 と潔癖な道徳観、西洋文学から学んだ近 代的知性が漱石を支え、人間の奥底に潜 んでいるエゴイズムを追求するという近代 的なテーマを追い続けた